浜崎あゆみ女優時代
浜崎あゆみの女優時代を知っている人って
どれくらいいるのかな?
「未成年」の頃の浜崎あゆみを知ってる人は多いと思うけど。
あゆは女優時代は、大手プロダクションの
サンミュージックに所属
その頃のポスターを今でも覚えています。⇒ランキングへ
一番手には、酒井法子
二番手には、安達ゆみ
そして三番手は誰だったかな・・・
多分あゆは4番目くらいに小さく載ってたと思う。
あゆがまだサンミュージックに所属していた頃、
サンミュージックの養成校みたいなのが
開講された。
そのオーディション募集告知のポスターに
あゆが小さな写真で載ってました。
みたこともないアイドル?
テレビでみたこともなければ名前も知らない
無名時代の浜崎あゆみ
それなのになぜかすごく印象に残ったあゆの存在
どうしてこの子をもっと売り出さないのかな?
これから売り出すのかな?
これから売り出すためにじっくり育てているのかな?
と思っていたら、しばらくして
「未成年」のドラマに出演していた。
主役じゃなく脇役
なんで脇役なの?サンミュージックの隠し球じゃなかったの?
多分あゆが未成年のドラマに出られたのは
あの頃、サンミュージックに所属していた
桜井幸子が出演だったからかな・・・と
勝手な想像をしてしまいます。
どっちにしてもサンミュージックは、
あゆをうまく売り出すことができなかった。
いや・・・あゆ自身も女優という仕事に
魅力を感じていなかったのかもしれない。
そして、いつの間にかあゆは女優をやめてテレビから姿を消しました。
それから数年して再びあゆがテレビに登場
女優としてでなく、歌手として
はじめて歌手浜崎あゆみを見て、
あの頃の女優浜崎あゆみとは分からなかった。
あゆは自分のチャンスをちゃんと掴んだ。
誰にでもくるチャンスをちゃんと見極めて
乗っかることができた。
そして、あゆは一流といわれる歌手になった。
今、歌手浜崎あゆみは、女優時代の話は一切しない。
あゆは過去を振り返らず、前だけを見て生きているのかもしれない。
2007年9月10日
浜崎あゆみの苦悩と成長1
浜崎あゆみという文字を週刊誌で見るたびに
あゆ本人だけじゃなくあゆファンも傷つくことがある。
今回の破局報道でもテレビ・週刊誌でも
あゆが一方的に悪いように書かれている。
でもそれに対して反論できないあゆ
時間が経つのを待つことしかできない・・・
アジアツアーに時期には、あゆの豪快に買い物しているところだけが
クローズアップされ、あゆの二日酔いで帰国を遅らせたとか、
あゆのステージは、ほとんどが口パクだとか・・・
これを見たファンは傷つくし、あゆを知らない人は信じてしまう。
あゆファンは、歌詞が良い!歌が好き!あゆがかわいい!だけじゃなく
あゆの生き方、考え方が好き!という人も多いんじゃないでしょうか。
私はあゆの生き方は、けしてあゆの世界の中だけの話じゃないと思う。
普通の人が社会人になって、会社に入る
間違ったことにもイエスと言わないと、いけないときもある。
自分の意見を通したいと思ったときは、孤独を感じる。
自分を捨てて、会社の色に染まってしまう人
組織の中にいるのに、組織と戦っている人
社会に出て皆、闘っている。
普通の人は、その気持ちを表現する場所がない。
でもあゆは、たくさんの作品の中で表現している。
私の変わりに表現してくれている。
そう思っている人もいるのではないでしょうか。
あゆはトップアーティストを走る続けている
その中には私達あゆファンに伝わっているあゆの苦悩はほんの一部なのかもしれない。
あゆファンに伝わっている、あゆの苦悩と私の勝手な解釈を
書いてみました。
浜崎あゆみの苦悩と成長2
あゆの苦悩といえば思い出すのが、浜崎あゆみ「絶望の三部作」
1999年〜2000年にあゆは大ブレイクした。
アーティストとして頂点に立った。
アーティストだけでなく、女子高生のカリスマと言われた時期
テレビ・雑誌はあゆ一色
その状況に一番戸惑っていたのは、あゆ本人ではないでしょうか。
そのときのあゆは、「ドアtoドア」の生活をし、
あゆ自身は何も変わらないのに、世間がどんどん浜崎あゆみという一人の人間を
作り上げていった。
あゆ自身がその状況に絶望を感じていた。
そんな時に発売されたシングル「vogue」
「Far away」「SEASONS」の三曲
この三曲が「絶望の三部作」と言われた。
そんな状況のあゆは、あゆ本人に宛てたメッセージでもあった。
あゆはこの状況を、あゆ本人は、冷静にみていた。
「vogue」流行 咲き誇ってあとは散っていく姿を曲にした。
「SEASONS」でのPVの喪服姿
あゆは何を葬りたかったのか。
この頃、あゆは一度姿を消した。
そして、「A BEST」の発売のときにあゆは気付いた。
あゆの意思とは関係なく、会社側が勝手に、「A BEST」発売を決めたこと
これであゆは、一人の人間ではなく、組織の一部だと
組織の中の商品だと分かった。そう思わないと納得できなかった。
「A BEST」のアルバムの歌は、取り直して
ほとんどの雑誌の表紙を飾った。これもあゆの提案だった。
あゆは浜崎あゆみという商品を消費していた。
そして「A BEST」のジャケ写は、あゆの目から黒い涙が流れていた。
このときのあゆは覚悟していたのだろう。
もう逃げられないこと
もう引き返すことができないこと
じゃ私はここでとことん生きてやれ
人間として生きてやれって思った。
自分が属しているはずの組織なのに戦ってやれと思った。
(「スーパーテレビ」での発言)
そして、「A BEST」発売後のドームツアーで
あゆは左耳の聴力を失った。
でもあゆは、私の変わりにみんなが聴いてくれるからというメッセージを
ファンに伝えた。
福岡ドームでの転倒事故
絶対安静で、歩くこともできない状況の中でも
あゆは、痛み止めをうち、コンサートを行った。
この頃のあゆは、引退・休養を考えていたことも明かした。
でも私から歌をとったら、何も残らないと、歌い続ける決心をした。
浜崎あゆみの苦悩と成長3
完璧を求め続けたあゆが変わってきたことが分かったのは
ライブのMCの中で、「人間くさくいたいなぁって思う
うまくいかない日があったり、納得いかないことがあったり、
楽しいことや嬉しいこと、悲しいこと、それにカッコいい日もあって、
情けない日もあって、だけど、超決まった日もあって、
そういうのがたくさんあるんだけど
でも全部ひっくるめて別に良いじゃんというか
そういうのもいいかなぁと思っています。」
と、ファンのみんなに伝えた。
こう思えるまであゆの中では、さまざまな苦悩や葛藤があったんだろうな・・・
そして、2004年に起こったエイベックスの「お家騒動」
当時、エイベックスの専務だった、松浦氏の退社(移籍)
松浦氏と依田氏が対立し、松浦氏が辞表を提出した。
これに対してあゆは、
「私のプロデューサーである松浦氏についてですが、
彼のいないエイベックスはもはやエイベックスではなく、
松浦専務の辞任が受理されるのであれば、
それは同時にエイベックスの終焉を認めるという事になると考えます。
浜崎あゆみというアーティストは彼とともに成り立っていますので、
彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」
このコメントにより、エイベックスの株価を左右した。
そして、松浦氏が新社長になった。
この発言で、あゆは自分の意見をはっきり言う人間である。
流されたくないという強い意志が見えた気がします。
この頃からあゆの歌詞は変わっていったと思う。
昔は、悲しみや辛さ・孤独ばかりを伝えていたように思う。
あゆ本人も「昔は痛みを分け合うのが浜崎あゆみだった・・・」
といっている。
だけど最近の曲の中では、あゆの強さがみえてきたように思う。
あゆはいろいろな苦悩を乗り越えながらも強くなった。
浜崎あゆみという一人のアーティストを応援しながら
一人の女性が、成長していく姿を、リアルにみせてくれているあゆ
私は、浜崎あゆみファンでよかったと心から思う。
もしかして・・昔のあゆは好きだけど、最近のあゆは好きじゃないって
いう人もいるかもしれない。
強いあゆは見たくない・・・
自分だけが置いてきぼりになっていった・・・
と、感じている人もいるかもしれない。
だけどあゆはこう伝えている
「昔は誰も信じてなかったからすごく弱かった
だけど勘違いしてて、私は一人ぼっちだから強いんだと思ってた。
でも・・・それは逆だった」
浜崎あゆみ「on my way」写真集より
以上、あゆの苦悩と成長を簡単に書いてみました。
スーパーテレビや今までの記憶をたどりながら、私の勝手な解釈で書いてみました。
もしかして間違っているところもあるかもしれませんが^^;
今回の破局報道であゆは、また傷ついているかもしれない。
今まで以上に敵を作ったかもしれない。
でもそんな不器用なあゆをこれからも見ていたいと思う。
浜崎あゆみ 2004年からの記録
浜崎あゆみ 2004年からの一連の賞レースを辞退し、
それ以降も賞レースからは距離を置く
そのきっかけとなったのが、エイベックスの「お家騒動」
2004年7月28日、エイベックスを退社した
松浦勝人が立ち上げる予定の新会社に移籍する考えを明らかにしたが、
松浦の復帰によりそれは免れた。
2004年以降、CDの爆発的なヒットはないものの、
CDシングルは30万枚前後と安定したセールスを保っていたが
2005年末から2006年初頭に発売された38枚目シングル
「Bold & Delicious/Pride」
39枚目シングル「Startin'/Born To Be...」の
両シングル(両作ともSWEETBOXとのコラボレーション)では、
アルバムの先行シングルであったこと、
一般受けの悪さなどの要因もあって
累計15万枚程度にまでセールスを落とす。
2006年6月21日に発売された「BLUE BIRD」では
売上を初動16万枚にまで回復したと同時に
ソロ歌手および女性ボーカルでは史上初の
シングル総売上2000万枚を達成!
ちなみに、総売上2000万枚を達成しているのは他に
B'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ
2007年3月には、その先月末に発売されたベストアルバム
「A BEST 2 -BLACK-」「A BEST 2 -WHITE-」が
オリコン・チャート1位、2位を初登場で独占
この記録は、女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来、
実に36年ぶりの快挙
そして2007年初のアジアツアーの成功!
浜崎あゆみ第三章が始まる
第三章第一弾シングル、「glitter/fated」が初登場1位
これにより、「シングル連続1位獲得年数記録」
「1位獲得数」
「TOP10獲得数」
「総売上枚数」
「ミリオン獲得数」
「シングル連続1位獲得年数記録」
以上見事5冠達成となった。
浜崎あゆみ頂点までの記録
浜崎あゆみ 2000年から2003年 頂点へ
2000年11月全日本有線放送大賞でグランプリを受賞
以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、
2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成
2000年12月13日発売の19thシングル「M」では初の作曲を手がけ
(作曲名:CREA)ミリオンセラーを記録
初のカウントダウンライブ(代々木第一体育館)も開催
以来毎年の恒例となっている
2001年3月28日、ベストアルバム「A BEST」を発売
宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めたものの
初動・累計ともに宇多田に敗れる
結果的にはどちらも400万枚以上の売り上げを記録した。
2001年夏には、女性ソロ歌手としては安室奈美恵以来2人目となる
東京・大阪・名古屋・福岡の4大ドームツアーを行った
2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で
所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、
エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。
また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、
同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。
2001年末に24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞
以降2002年に「Voyage」2003年に「No way to say」で
史上初の3連覇を果たす。
「Voyage」は、浜崎あゆみ絶望の3部作の一曲でもあります。
(絶望の3部作とは「vogue」「Far away」「SEASONS」)
2002年7月に発売した27thシングル「H」』が、
日本のシングルCD売り上げが全体的に低迷した同年において
唯一のシングルでのミリオンセラーを記録した
2002年秋にはシングル28thシングル「Voyage」の発売に合わせて
短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開(後にDVDとして発売)
歌手デビュー以来初めて女優業を行う。
2002年10月、初のレギュラー番組
「ayu ready?」がスタートする(2004年3月終了)
トークが苦手だったあゆの新たなチャレンジ!
ファッションリーダーとしての活躍も顕著であり、
ベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている。
浜崎あゆみ デビューから2000年まで
浜崎あゆみ デビューから2000年までの主な記録
1998年4月8日「poker face」でデビュー、オリコン最高位20位を記録
三枚目のシングル「Trust」では、オリコンチャート初TOP10へ
製菓メーカーや化粧品会社などの
CMタイアップなどで注目度が上がり
1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』で
オリコンチャート1位を初獲得! 約150万枚を売り上げた。
表題曲「A Song for ××」をはじめ、
自作の歌詞が当時の女子中高生を中心に大きな支持を受ける。
1999年4月7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」
でオリコン1位を獲得
1999年7月、当時ライバルとして挙げられていた
鈴木あみ(現:鈴木亜美)との同日発売シングル首位獲得競争
浜崎『Boys & Girls』vs鈴木『BE TOGETHER』)は熾烈を極め、
初登場週は鈴木が1位、浜崎が2位となったものの、
2週目は浜崎が抜き返し1位に、3週目も1位を獲得した。
この「Boys & Girls」と10thシングル「A」がミリオンセラーを記録し、
1999年NHK紅白歌合戦に初出場
2000年夏には初めてのコンサートツアー
(第一幕、第二幕と題し全国を二巡する)に挑むも、
左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期
のちに左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表している。
この頃からファッションリーダーとしてネイルアートや大きなサングラス
ヒョウ柄などの流行を生み出す社会現象となった。
浜崎あゆみ プロフィール
浜崎あゆみプロフィール
本名 濱崎歩 (はまさきあゆみ)
愛称 あゆ ・ ayu
生年月日 1978年10月2日
出身地 福岡県福岡市
血液型 A型
学歴 中卒(堀越学園高校中退 )
デビュー 1998年4月8日
デビュー曲 「poker face」
レーベル avex trax
事務所 エイベックス・エンタテイメント
浜崎あゆみ歌手デビュー前の活動
10代前半から地元の福岡のモデル事務所に
芸名「浜崎くるみ」で所属し、福岡中央銀行の
ポスタ−やその他地元商業広告などで活躍
その後、東京の大手芸能プロダクション
「サンミュージック」にスカウトされ、テレビドラマ
『ツインズ教師』で女優としてデビュー
このとき、後に恋人となるTOKIO長瀬智也と出会う。
この作品の後、芸名を「浜崎あゆみ」から異体字『?ア』に改名
1992年から1997年頃までテレビドラマや映画に出演
主なドラマは、「未成年」や
「同居人カップルの推理旅行」(今での時々再放送でもやっている)
「闇のパープル・アイ」
著名な映画は、「すももももも」「渚のシンドバッド」「学校II」など
声優の経験もあり、アニメ「バトルスピリッツ 龍虎の拳」で
ユリ・サカザキの役を演じたが、現在発売中のDVDは、
権利等の問題からか浜崎あゆみの声は別の声優のものと
差し替えられている。
なおアニメの原作となったゲームの続編「龍虎の拳2」の実写CMでも
ユリ役を演じている。